#01 『家の外の都市の中の家』と『TOKYO METABOLIZING』

『家の外の都市の中の家』をみて、『TOKYO METABOLIZING』を読んで感じたことをまとめてみます。

戦後からの庭を持った戸建て志向や持ち家志向。それを幇助する日本の建築制度の1敷地1建物というルールと敷地境界線からの後退義務。近代の名のもとに建築言語に取り入れられたプライバシーや合理性といった言葉。戸建て住宅の平均寿命26年。

東京は非常に多くの戸建住宅が密集して建てられており、それぞれの土地の持ち主は自由気ままに建物を建て替えているが、そこには26年という周期で新しい世代の住宅が生まれているという、これまではっきりと見えてこなかった東京の猥雑さの理由が明らかになっている。



今回の展覧会(ヴェネチア・ビエンナーレも含めたプロジェクトとして)、私は塚本さんの研究の成果が中心になっていると考えています。2007年の4月にギャラ間で行われていた『いきいきとした空間の実践』の講演会でアトリエ・ワンのお二人が話されていたことがブラッシュアップされているなという印象を持ちました。その時期、私は彼らの建築を理解したくてたまらなかったし、現在も彼らのつくる住宅は興味を持って見ているので、今回の展覧会やこの記事でもアトリエ・ワン推し、塚本由晴推しのところがあるように思います。まあそうでなくても、展示やプレゼンの仕方、『TOKYO METABOLIZING』におけるテキストの量を見れば誰が中心となって進めていたかはわかります。

けれど、この展覧会の面白みは、北山さんが塚本由晴西沢立衛を引き合わせて一緒にやらせたことだと思うし、とても面白い組み合わせだったと思います。


東京の建物の更新期間が短いという特徴から、全体ではなく個別に建物を取り上げていこうとする視点を提唱しているわけですが、テキストや展示からみても塚本さんの方は東京を広い視点から見たうえで提唱していることがわかりますが、一方の西沢さんは森山邸を展示するのみで、テキストに関しても都市のコンテクストを語るわけでもなく、建物の設計に向かい合っている様子のみが記されています。ですが、このテキスト量の対比からもわかりますが、正反対の手法をとる2人が結果的に非常に近いコンセプトを共有していたことがわかりますし、それに北山さん自身が気づいたことからこの展覧会の骨子である建築家が選ばれたのだと思います。

また、これまでの徹底したプライバシーの確保というものに対しても、その考え方を取り払おうとする近代の建築への批判めいたものを感じさせます。それは、塚本さんが提唱している「第4世代の住宅が非寛容のスパイラルから抜け出」したいとする視点であるし、西沢さんが森山邸において近代の機能性を重視していた点を徹底的に追求していくことで新たなかたちの提案をしている部分であるし、北山さんが近代建築のボキャブラリーを用いて近代建築を否定しようとする姿勢などに表れているといえます。

こうした異なる手法をとりながら近いコンセプトを共有している建築家たちを、コミッショナーである北山さんが引き合わせて何がしたかったのかといえば、それは住宅のつくり方ってなんだろうかと私たちに疑問を投げかけることだったのではないかと思っています。



少し話が飛躍してしまうかもしれませんが、ここで震災のことについて触れたいと思います。

これまでも、震災が起きてからも日本全体が目標とできるような社会全体のビジョンというものは出ていたことってないと思うんです。私個人としては安倍晋三美しい国というスローガン自体にはとても魅力を感じていたこともありましたが、それが明確に想像できるようなビジョンとしては表現されていなかったし、政治家や権力者たちが足の引っ張り合いをしている間は、私個人としてはリーダーシップをとれる人が表れたり、大きなビジョンが示されることはないと思っています。

それに、建築家で社会に対して影響力を与えられるようなものといったときには安藤忠雄の海の森構想か、丹下健三菊竹清訓黒川紀章らのメタボリズムに遡るぐらいしか思い浮かばないように思います。でもそれにしたって、既存の密集した東京のまちの住宅問題を解決できるようなものでもありません。どちらも海や郊外を拡張するようなものであるし、メタボリズムでは重要なインフラともいえるコアというものが現在の世の中では成り立たないような気がします。

また、安藤さん以外にも伊東豊雄隈研吾などのスター建築家と呼ばれる人たちでも難しいだろうと思うし、彼らがひとつに集まってもそう簡単に社会を動かすことは難しいのではないかと思っています。彼らに一定の影響力があることは確かだし、帰心の会やらアーキエイドなどは一定の影響を及ぼしている。私も含めて、(良心ある)建築界の人間の多くは彼らスター建築家によって素晴らしいビジョンが示されたのなら、それに賛同する人は多くあらわれるだろうことに疑いようがありません。

ですが、そこには利権絡みの問題があったり、日本人が持ち家志向であることからくる細分化された敷地の権利などの問題があって、物事が進んで行かないことと非常に関係している所があって、スター建築家のような立場であっても難しいところなのではないかと思います。伊藤さんは釜石市の復興のコーディネーターをやってらっしゃるし、他の建築家の方々もいろいろと復興の手助けをしていますが、彼らが何をしているか、何に時間を割いているかというと、おそらく住民の方々との対話に時間をかけていると思います。一般の平常時のまちづくりのワークショップだって、かなりの時間をかけて行われているのに、そこに「復興」という非常に大きく重たいキーワードが乗っかっているのだから時間がかけられてしかるべきで、その場所における建築家は住民の方の要望を聞く立場であって、その役割は普段の彼らの立場からすれば非常に小さなものとなってしまうように思います。実際、伊藤さんは原点に戻ってここから始めるというような考えから、「みんなの家」というものを提案されていましたが、(感傷も含めて)本来の建築家としての力が出せないことがあるのではないかと思います。



当たり前ですが、今回の展覧会は被災した地域の復興とはまったく別のチャンネルで語られているものであって、同じ土俵に挙げられるべきではありません。ですが、展覧会との関連で私が感じたのは、都市やまちに対して何かものをいいたいことがある人がいたとして、それがどれだけ有名な建築家でも相手にできるのはひとつの敷地の中だけであって、それ以上は手を出せないということです。どれだけ素晴らしい都市計画やまちづくりの計画をつくろうとも、それは1人では成立し得ないもので、どうしてもやろうとするならば行政と一体になって少しずつやっていくしかありません。ですが、一般的な建築家にとっての現実的なやり方として、ひとつの狭い敷地のなかでより良い建物をつくるにはどうすればいいかという問題は、東京という都市だけの問題だけに留まるものではなく、震災や津波の被害にあった地域、ひいては日本国全体に適用されている住宅政策の問題に直結しているのだといえます。

展示の最後では高齢化の問題や緑化率などのデータが表示されていて、海外(パリとNYですけど)と比べても東京が特異な場所であることが示されていましたが、あれはまさしく東京に適用されている住宅へのルールによるものだと考えられるのかもしれません。


現在の原発の状況も含めて考えてみると、近代の理論を適用して日本は経済成長を遂げてきましたが、それが少し道を踏み外してきたのかもしれないと考えさせられる展覧会だったと思います。これまでもずっとあった問題が社会に顕在化しているだけだと識者の人はいいますが(わかってたんだったらそれを正々堂々と主張しておいてくれよって思うのは置いといて)、それをなんとかするためには一人ひとりがコツコツとやってくしかないんだと思います。
そのなかでも特に住宅というものに関してはこれまでにないやり方、近代の系譜から外れた論理やかたちでつくることによって、この非寛容のスパイラルから抜け出せるきっかけとなるんじゃないかってことではないでしょうか。そして、そうやって抜け出す方法はいくつもあるんだということを、正反対の手法をとりながらも近いコンセプトを共有していた2人の建築家に託していたといえるのではないでしょうか。




記事を書くにあたり、展覧会のゲストトークに参加された山本理顕さんの動画コメントが参考になりました。動画と文字おこしした文章を載せます。あと、八束はじめさんの塚本由晴論みたいなものが面白かったので、これもURLだけ載せておきます。


山本理顕「すごく刺激的な展覧会だと思いました。先ほどシンポジウムで北山さんと話をしましたけれど、住宅問題っていうのは建築とは関係がないと思っている人が非常に多くいて、特に建築の専門家、建築を勉強している人とか、建築をつくっている人のなかにも、住宅の問題を解決するってことは建築の問題ではなくて社会の問題だって考える人が相当多く、特に日本の場合はいると思うんですね。で、どうやって建築をつくっていくか、どうやって我々の主体的な建築を、建築家としての主体性をもって建築をつくっていくか、そういう話題は今までたくさんあったんですよ。住宅は社会とどのような関係を持っていて、住宅と設計をする我々とはどのような関係になってるかっていうところを考えて、そういう話題すら建築のなかには登場しないっていうのは、ここ恐らく30年ぐらいの状況だと思います。そういうときに、建築の展覧会で北山さんたちが住宅問題をここで取り上げたっていうのは非常に画期的だと思いますね。住宅こそ建築であると。住宅こそ都市であるという。日本ではそういう住宅の問題が非常に大きな問題になっていて、そこの住宅問題を解決しないと都市の問題が解決しないと思います。その意味ではこういうビエンナーレの、ヴェニスの、そのなかでテーマとして、それ自体が非常に重要だったと思いますし、ここでもう一度展覧会をやるっていうことがね、やっぱり日本の我々が一番大問題を抱えてるわけで、いま。ここをわれわれ建築家たちがどういった形で提案をするかっていうのが重要だと思います。特に、被災した場所があって、考えられないことが起きている。それはいままでの住宅のつくり方や都市のつくり方が本当に間違ってたっていうことが、多くの人達が目にしたと思うんですね。そういうときにますます重要なテーマだと思います。そういう意味で非常に刺激的でした。」

『あまりにポストモダンな?』八束はじめ http://10plus1.jp/review/monthly/index0308.html


*この記事は私がBloggerで利用していたブログ記事を転載したものです。