#02 『Tradidtion is Innovation』と建築家の役割

東京のリビングデザインセンターOZONEで開催されていた『Tradition is Innovation - ポルトガルの現代建築展』(http://traditionisinnovation.blogspot.com/)で語られていた「建築家の役割」についてまとめようと思います。

この展覧会では写真や模型などの展示は何もなく、建築家へのインタビュー映像のみで構成されています。インタビューの内容は各建築家の代表作や近作の紹介と彼らが考える建築家の役割に関するものでした。本展のパンフレットはインタビューを文字おこししたものなので、今回の記事もこれを参考にして書いています。


それでは以下に、気になった部分を要約していきます。

ジョアン・ヴェントゥーラ・トリンダーテ(João Trindade)
建築の仕事や建設業全体の規模が減少しているが、過去20年の建築や建築家をスター扱いしてきたプロジェクトなどは消えていくだろう。制約や問題があるなかで設計に取り組むことこそが建築家の役割である。アトリエを始めめて以来、常に大きな困難や制約があるなかで設計に取り組んできたが、それこそが建築家が今後も進むべき道である。

リカルド・カルバーリョ + ジョアナ・ヴィリェーナ(Ricardo Carvalho + Joana Vilhena)
土木建設市場は批評的な視点や材料の吟味をしないような状況をつくり出しており、均一化していく傾向にあり建築家や建築というものを外に追い出していくようになってしまう。だが、偉大で賞賛すべき建築家は市場に対して批評的な態度をもつべきであり、そうして建築家として失った仕事の領域を取り戻す必要がある。

リカルド・バック・ゴルドン(Ricardo Bak Gordon)
建築家の仕事というのは継続していく仕事であって、継続してある場所や社会の営みを改善し、その場所に対して些細な提案をすることで貢献していく。現代の建築の世界では大きな身振りや革命ではなく、些細な提案や改善点を前提条件から導くことで、一つの貢献をする。

ジョアン・ルイス・カリーリョ・ダ・グラサ(João Luís Carrilho da Graça)
建築家の、ひとりの人間としての社会的役割を十分に自覚しておく。建設行為を先入観なしに実行することと、建築の歴史を振り返ることはともに重要である。

マヌエル・アイレス・マテウス(Manuel Aires Mateus)
建築家は現実的な条件に対応していくという興味深い役割を持っている。建築が石積みでなくなったことで恒久的な性格を失い、以前とは異なる時間軸を持つことになった。「建築を一時的な芸術として捉え、視覚的効果に変調した世界を作り上げ」ていたが、建築の芸術としての側面と生活との関係は失った。

イネシュ・ヴィエイラ・ダ・シルバ + ミゲル・ヴィエイラ(Inês Vieira da Silva + Miguel Vieira)
クライアントやプロジェクトに対して注意深く接することが建築家の役割。私達がいるのは、大量生産や大量消費の時代であるが、その「全てに対して疑問を投げかける時代」でもある。「少し前の時代に存在した、新しいプロジェクト、新しいコンペを次々に行い、今までにないイメージを競い合うような仕事の論理とは逆の論理が、少しばかりですが擁護されている」

ヌノ・ブランダォン・コスタ(Nuno Brandão Costa)
建築家の役割は建築理論に関わること、アートと呼ばれるものであるが、建築自体には社会的役割が備わっている。社会的、経済的条件により多くの困難があると考えられるが、そのどんな要因もプロジェクトの質が低下することの言い訳にはならないし、むしろその逆である。

エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ(Eduardo Souto de Moura)
ポルトガルは大きな経済危機に直面しており、経済が全ての決定権を持っており、政治に対しても命令を下している。「したがって、私たちは現在、無政府資本主義の到来を目撃している」といえ、そうした社会における建築家の役割とは、現在の状況に自らを適応させ、危機に見合った建築をつくっていくことである。危機の時代の建築というものが現れてくる。現在の社会状況は、近年の建築界における行き過ぎた形状至上主義の熱をさます、有意義な時代になり得る。



上手くまとめられていないかもしれませんが、ここまで「建築家の役割」をまとめてみて、彼らの多くが国家や建設市場、社会状況について言及していることに気が付きます。そこで、ポルトガルの歴史をひと通りさらってみたいと思います。


まず、展覧会のまえがきにあたるゴンサロ・バティスタ(Goncalo Baptista)+志岐豊による「Point of View」において、ポルトガルでは1955年から1960年にかけて「ポルトガル地域建築調査」が実施されたことが示され、今回のUIAでゴールドメダルをとったアルヴァロ・シザが当時のポルトガル建築界の気風を「伝統主義者になるのでもなく、ルーツを無視するのでもなく(not to be a regionalist, nor to ignore our roots)」と述べたことを引用し、モダニズムへの反動としての側面があったとされています。

例えば日本でモダニズムへの反動といえばポストモダニズムとなりますが、そこには資本主義、自由経済の概念が揺らぐことなく入り込んでいることによって語ることのできる下地があったためだといえます。建築世界における変革があったとしても、資本主義社会や自由経済などが変わってしまうような根本的な変革が日本にあったわけではありません。その資本の安定、社会の安定(もしくは成長)という下地があるためにモダニズムポストモダニズムという流れになっていったといえます。

ところが、1960年前後のポルトガルでは資本主義や自由経済はおろか民主政治ですらなかったために、モダニズムへの反動としてお金のかかる方向へは行けなかったであろうことが予想されます。ここで述べられていた「モダニズム」とは、ユニテ・ダビタシオンに代表されるような建築であるとされていますが、それらはインターナショナルスタイルとまでは言わないまでも、その後のポルトガルの建築界が向かう方向である土着的なものとは全く別方向のものだといえます。ポルトガルの建築家たちがモダニズムを離れて地域や伝統を重視した建築をつくっていくのには、経済成長と大きな関わりがあるように思います(もちろん純粋に伝統というものを尊重しただけなのかもしれませんが)。

その方向性をとったことが何を示すのかはわかりませんが、インタビューに答えた現代の建築家たちも近過去に行われた大掛かりな建築のプロジェクトに対して批判的な立場にあるようで、経済成長といった事に対して懐疑的である印象を受けました。

また、当時の建築家たちがモダニズムに反動するために用いた手法が地域や伝統の評価であるということは理解できますが、現代の建築家たちにとってもその手法が疑いなく使われていることには疑問を感じます。そして、その理由は1974年に起こった革命と関わりがあるように思います。



ポルトガルは1974年4月25日に起こった「カーネーション革命」と呼ばれるクーデターによって、1933年から続いた「エスタード・ノヴォ第二共和政)」と呼ばれる長期独裁政権が崩壊しています。エスタード・ノヴォの時代から重工業化が推進されてはいましたが、植民地戦争も同時に続けられていた状態から、民主政治に変わったということで、建築家にとっても革命によって社会が劇的に変わったといえます。というのも、インタビューに答える建築家たちが1974年の革命をひとつの契機としてみていることがわかるからです。以下に、その例をあげておきます。

ドン・ディニシュ中学校について/リカルド・バック・ゴルドン(Ricardo Bak Gordon)
ポルトガルの中学校の大部分が4月25日の革命の直後に建設されたものであるといいうことは触れておく必要があると思います。」

シザのプロジェクトについて/ヌノ・ブランダォン・コスタ(Nuno Brandao Costa)
「ここに、革命後の、ポルトガルが最も困難を抱えていた時期に建設された良い事例があります。」

自身の経歴について/エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ(Eduardo Souto de Moura)
「美術学校の建築学科に通っていた頃、それはちょうど革命の間かその直後でしたが、アルヴァロ・シザの事務所でも仕事をしていました。(中略)そこで私は兵役に就くまで5年間働きました。」



革命が彼らとってどれほど劇的であったかは想像に難くありません。その日をきっかけに全てが変わるということを、私自身は体験したことはありませんが、たった36年前の出来事だったということなんですよね。そこから民主政治が始まったわけですから、エスタード・ノヴォとの違いが実感として感じられるわけで、その分だけ経済というものに意識的になれるのではないだろうかと思います。上に挙げた革命に関する建築家の言葉も、革命以前か以後かということにはとても重要なことなのだと思います。

彼らは資本経済や社会が不安定であることに自覚的で、それは自分たちの周りの社会が目に見えて変わったことに起因しているのだといえます。いままさに経済情勢が良いといえない時代で、建築家たちも建設市場が減少し、効率や資本主義を盲信したような巨大なプロジェクト自体が減少しているなかで、彼らが多く言及していたのは建築家の社会的役割であるとか、現実の社会的な問題などに立ち向かうことでした。とても現実的で、とても真面目ですが、とても好感がもてるし、その通りの位置付けになっていくべきだと思います。

この展覧会で紹介された建物の大半がもとの敷地にあったストックを活用、もしくは設計のためのコンテクストとして用いられているものばかりで、もとの建物を残すことや記憶を受け継ぐということが積極的に行なわれていて、ポルトガルに限らず西欧の建築家の基本的な考え方として、建築には恒久的な性格があるのが前提なんだろうと感じました。日本ではモダニズムのあとにポストモダニズム、さらにメタボリズムにまでいきましたが、西欧では建築の更新期間というものへの感心自体が薄い、というよりもストック改修や保全といった意識がとても高い。


ポルトガルは革命を機に資本主義社会に変わり、それと同時にそれまでとは異なる大量生産・大量消費の社会に向き合うことになったが、それが性に合わなかったといえるかもしれない。でも、たった36年前の出来事であって、大人が変わることは難しくても若い世代はそれが当たり前となっていくのが正常な社会だといえるので、今後のポルトガルの建築がより土着的な性格を装飾していくのか、ソウト・デ・モウラが言うような無国籍色の強いミニマリズムな方向に向かうのかは注目していきたい。

*この記事は私がBloggerで利用していたブログ記事を転載したものです。