ビビりだから匿名で感想を。

今更ですが、建築の話題は全てstudyタグにしてしまっていることを後悔しています。今回のオープンハウスの話題のような実際の建築の話と、読み終えた本の感想の話が同じタグってのはどうなのかなと思います。建築関連の本はstudyタグで登録していて、それ以外の小説やらの一般書籍はdiaryに入れていたと思うんだけど、bookタグでも作ろうかね。


そんなところで、今日はオープンハウスに行ってきた話題です。


敷地は狭く資金も少ないという典型的な狭小住宅です。木造2階建て(ロフトもあるけど)で、1階に納戸、寝室、収納、トイレ、2階に風呂、キッチン、ダイニングという間取りで、部屋と呼べる場所はありませんでした。ダイニングと寝室を以下に効率よく使かっていくかという事が重要になってくるなと思います。外のガルバリウムと中の木の感じは流行の風で良いと思うし、大きな開口は換気や調光だけでなく建物のアイコンとなっているのもいい感じなのではないでしょうか。



少し否定的なところを書きます。

開口部をばっさり空けてますが、正直うーんって感じです。外からの視線を意識せざるをえないし、なんにも意識せず簡単に撮っただけの写真なのに、上の写真では完全に人がいることがわかりますよ。雑談しているのを聞いていたんですが、所員の方は「奥さんはカーテンつけたい、なんて言ってるんですけどねぇ。」みたいな雑談してたけど、やっぱ建築に関わっていると価値観が違っていってしまうんだねぇ。俺は完全に奥さんの意見に同調するもん。

開口部を大きく取ることによって視線の抜けとか季節を感じることが出来るとかはわかります。あと、お知らせに書かれている「小さなボリュームが大きな暮らしの容積に変わる。」って表現からも、設計された皆さんが建物開口をポジティブに捉えているのを感じます。
けどやっぱりネガティブになるよ、これは。カーテンを付けるとかプライバシーの問題なんか当然だし、それに俺は治安の問題も大きいなと思います。治安悪いなぁと最寄り駅に着いてすぐ思ったもん。駅の周囲は自転車だらけで、パチンコとゲーセンとが大きな顔して建ち並んでるし、その店の前では中学生らしき子達がタバコ吸ってるし。駅前なのにあれだけ汚いのは嫌になるし、あの状態にはモラルが無いと感じました。それに敷地の前は遊歩道になっていましたが、夜に限らず人通りが少なそうな雰囲気でした。照明とか無かったし危ない場所な気がする。

家に居るときはいい。あの開口から明かりが漏れて、明るい雰囲気になると思う。疲れて帰ってくる旦那さんを明るい家で奥さんが待ってくれている様子が目に浮かびます。けどさ、家に誰もいないときは窓から侵入するの簡単そうですよ。窓デカいし。

周囲の家々は敷地は小さくても塀やら植栽やらが置かれていて、ちょっとした防壁になっているように感じたんだけど、今日伺ったお宅では何にもなし。いわゆる、建築家が塀を好まない現象ですよ。何故、塀を極端に避けるのか不思議なんだよね。まぁ学校とかで造園の知識を教わらないってのが大きいと思うし、ポストモダンの世代に教わった人たちが現在の建築界を引っ張っているような気もするし。家に入るまでのアプローチって何の機能もないけど、家に入るまでの緩衝地帯って感じで重要な気がするんですが。



twitterで書いたボルト隠しについて。
まず、イメージは。。。

こんな感じで、横材(多分胴差だった気がする)のボルトを隠す感じで、ちっさい木材をピンで留めていますた。

そいで、twitterを引用します。

ボルト隠しがもったいないと思った。狭い敷地に資金もない、だから大きな仕掛けは無理。だったら小さい所に「実はね・・・」的な仕掛けが欲しい。その点でボルトの部分は遊べるとこだと思ったんだけど。。。

階段部で見えた床材のボルトは見せていたのに、二階では小さい木材で出っ張らせていた。ボルトを「隠す」ためのものなのに、逆にボルトの存在を「目立たせる」ものになっていました。


いやさぁ、ボルトを見せたくないなら下に穴を開ければいいだけじゃん、って思う。目についちゃうから気になって。。。あとでちゃんとした感想書きます。 お茶とさくらんぼ美味しかったです。潤いましたー

イメージとしては釘隠しなわけです。
隠そうという意図があるのはわかるけど、それを逆に装飾として使おうという意識なのではと思うんです。つーか、3つめのツイートは正しい気がするんだけどなぁ。。。2枚目の写真(上から見下ろす感じで撮影してます)に移っているスラブの黒い丸部を見るとボルトが見えていましたし、軸組で木材をそのまま見せているんだからボルトだって隠さずにいればいいのにと思います。それを隠そうとして出っ張らせるのはね。