abstract.

論文の概要をまとめておくけど、面倒な部分は飛ばします。
話し言葉で書いていくつもりです。


A 論文概要

  • 題目

服装研究からみた「建築家」今和次郎

  • 目的

「建築に関わる人物でありながら何故服装に興味を抱いたのか。服装の研究をどのような視座のもとに行っていたか。今による多くの研究分野の中で服装はどのように扱われていたか。」という3つの視点から今和次郎の服装研究の位置付けを明らかにする。

  • 参考文献

川添登今和次郎 その考現学』補論文庫版、ちくま学芸文庫、2004年

今和次郎―その考現学

今和次郎―その考現学

黒石いずみ『「建築外」の思考―今和次郎論』、ドメス出版、2000年
「建築外」の思考―今和次郎論

「建築外」の思考―今和次郎論

倉方俊輔, 黒石いずみ他『A haus アーハウス』No.6、Ahaus編集部、2008年http://www.a-haus.net/2p.html
他多数


B 今和次郎とは
 今和次郎(こん わじろう)は、1888(明治21)年7月10日に青森県弘前市に生まれる。1917(大正6)年に最初の論文を発表して、1973(昭和48)年に亡くなる直前まで著作や雑誌記事などを多く発表して、その専攻分野も多岐にわたっています。
 もともと東京美術学校(現在の芸大)の図案科というデザインを勉強していましたが、美校で講師をしていた岡田信一郎明治生命館歌舞伎座などを設計)の紹介で、早稲田大学建築学科の助手となり、建築と関わっていくことになります。デザイン畑の出身であり、既存の建築界とは全く異なる思想を持っていたことから、多くの分野で先駆的な存在といえます。
 そのひとつが民家の調査で、民家はそれまで建築界のなかでは注目されていないものでした。今は早稲田で師事していた佐藤功一(大隈講堂日比谷公会堂などを設計)や民俗学者である柳田国男らとともに、白茅会や郷土会という民家の調査や研究を行う団体に参加して、いくつもの地方の民家に出向いています。今はその活動で民家のスケッチを描くことに尽力しており、柳田からは弟子のように可愛がられたとされています。

 他にも、今の活動では関東大震災後に行われた考現学(こうげんがく)という統計調査は、大規模な街頭調査というだけでなくその位置付けが特殊であることも知られています。「銀ブラ」という言葉が流行っていたように、今も「震災以前からしきりに華美に傾いていた東京人の風俗を、ぜひ記録にとっておきたい」としており、銀座を歩く人たちの服装や持物などを詳細に調査しています(男性のヒゲの生やし方とか、女性の髪型や口紅などの調査も多く、また単純な統計調査だけでなくスケッチも絡めた調査なので、見ているだけで面白いです)。考現学は「人の行動」「住居関係」「衣服関係」という分類がされていて、街頭調査以外にもたくさんの調査が行われています。
 ちなみに考現学の由来は、考古学に対抗したいという思いからだと説明されてます。考古学は歴史を説明するための補助学との位置付けですが、考現学も現在を説明するための補助学だとされています。


 他にもバラック装飾社での活動、住宅改善運動、生活改善運動、東北地方農山漁村の調査など多くの活動をしています。民家論と考現学の他にも家政学生活学、労働問題、比較住居論、生活病理学などを体系的に研究していて、後の研究者によってこれらの活動が相互に影響しあって研究が進められてきたとされてきました。

 こうした研究のなかに服装の研究があります。
 今はこうした研究を50年以上も続けていましたが、そのなかでも服装の研究については30年以上も続けられたものでした。にも関わらず、これまで服装研究は手をつけられずにきました。そこで服装研究を通して今和次郎という人物を考察してみよう、というのが今回のテーマにもなっています。


C 今和次郎の服装研究
 詳細は面倒なので概要だけ書きます。今が服装研究として行ったものを大きく分けると①西洋と日本の服装史、②流行としての服装の考察、③文化人類学的視点からの農民服や民族衣装の考察、そして④建築と服装の関連についてとなります。

 ①の服装史では、西洋のものについてはエジプトやギリシャといった古代のものから、ロマネスクやゴシックなどの近世、ルネサンスバロックロココなどの中世、そして産業革命以後の近代と分けられています。今は旧来の時代区分に従ったのではなく、服装の造形の変遷から「布をからだにまといつけた時代」、「裁断というものを工夫した時代」、「王様の趣味で服装を装飾的に巧んだ時代」、「社会面に動く流行が中心」という時代区分に分けていて、それが旧来のものと近しいものになりました。

 ②は①の知識をもとに現代の服装を考察するもので、現在でいえば社会批評家やジャーナリストといった仕事といえます。①と②の関係は建築のデザインと似た関係だともいえます。過去のものを勉強することで現在にフィードバックする感じが。

 ③で特徴的なのは、日本各地の農民服を取り上げて地方ごとに特徴が表れていることを示したものでした。決して真面目に体系化するつもりはなかったと思いますが、もともと民家の調査で地方に出向くことが多く地方ごとに特色があることを知っていた今は、服装においてもそれを認識していたといえます。
 今は1930(昭和5)年にヨーロッパに視察旅行をしています。約10ヶ月の旅行で生涯で一回限りのヨーロッパ渡航です。この旅行は今のなかで大きな転換期だったと推察しています。渡航前は考現学者としての記事を多く書いていたのに、帰国した今は考現学から離れて服装の記事を発表し始めていきます。今はヨーロッパで建築を見て回っただけではなく、都会では労働者の制服を、地方の田舎では民族衣装に注目していました(前者は多くのスケッチが、後者は大量な絵葉書の購入)。 日本でも地方ごとの文化に注目していたが、ヨーロッパに行くことで都会と田舎の文化の差異に意識的になったといえます。

 ④は書くのが難しい。。。大枠としては西洋服装史と西洋建築史の比較のがメインで、同じ社会背景にあることを説明するものです。さらに、今は造形という言葉を建築と服装の両面から捉えなければならないものとしていて、この観点から服装研究の位置付けをしてますが、これが適用された比較研究も行われています。

 やっぱり難しい。。。簡単に言ってしまえば、建築と服装の比較は社会背景からの考察と造形からの考察が行われています。さらに造形からの比較は、装飾などの詳細な「部分」の造形の比較と、シルエットとしての「全体」の造形の比較が行われていました。
 この「部分」と「全体」の話題は服装と建築の比較だけではなく、分離派建築会とのバラック論争の話題と合わせて論じました。断固として全体の造形に固執する分離派の滝沢真弓に対して、今は詳細な装飾を推進していましたが、服装との比較においては全体と部分の両面から考察を行っていた、と。論争当時は相対する価値観であったが、時間が経つとそれを受け入れていたといえます(といっても、受け入れなかったのは分離派の方で、今は最初から分離派の価値観をしっかり認めていました。)。


D 服装研究に傾倒した動因
 今が服装の研究を始めたの理由ははっきりと明示されています。演劇との関わりからです。坪内逍遥島村抱月らとの交友があった今は彼らの演劇の舞台装置や服装を再現しなければならないという必然性から西洋の歴史を学ぶことになり、その過程で服装に興味を抱いたとしています。さらに、自分の興味だけで研究していただけではなく、今は美校で舞台装置のための講義を受け持つなどしていました。

 今が様々な研究をしていたことは既に述べましたが、それ以上に交友関係もとても広いものを持っていました。早稲田の教授陣や学生に加え、坪内ら演劇界の人物とも広く付き合っていました。そのなかで本研究では吉田謙吉と斎藤佳三に注目しました。
 吉田は考現学の活動を共にした人物で、今の美校での講義を聞いていた学生でした。後に舞台装置家として活躍する吉田は舞台のための講義を熱心に聞いています。舞台のための講義にはもうひとつあり、同時期に開講されていた斎藤の服装の講義があります。斎藤のものも今の講義と同じ目的があり、斎藤自身が今と同じ価値観を有しており、彼らは美校での学生時代から付き合いがあります。さらに二人とも演劇と直接関わっていた経験もあるし、服装についても一家言ある者同士でした。

 まぁいろいろと共通点などを調べた結果、今は建築家よりも芸術家に近い価値観を有していることがわかります。今回は、さらに一歩踏み込んで、似た価値観を有していた今と芸術家たちのある部分での決定的な価値観の違いに注目しました。今と斎藤のどちらも服装について一家言あるとした部分です。斎藤にとって普段の服装について舞台衣装のように綺麗なものを求めるべきとしていましたが、生活改善運動に関わっていた今は服装の一番の価値基準に「美」を設けてはならないとして、それぞれの生活態度にあった服装をするべきだというもの。ここから、今の服装に対する価値観は建築家とはもちろん異なり、さらに芸術家とも異なるものであったといえます。


E まとめ
 論文でも最後は箇条書きで書いたので、ここでも同じようにします。

  • 服装研究の動因は演劇との関わりから
  • 今和次郎と吉田謙吉との関係には、斎藤佳三の影響がみられる
  • 同じボキャブラリーで語られた建築と服装



こんな感じでお終いです。詳しいところはほとんど入ってませんが、大体の論旨がわかればいいかと思います。
見てくださった方がいたら嬉しいです。詳¥


※今回の記事の無断転載、無断転用を禁じます。