色をバンバン使いたい。

Point1
「本を読む」という行為自体は、人が能動的に行うもの。けれど、情報の伝達は一方的に行われていて、明らかに本から人へというものであり、人が受動的になっている。

「本を読む」ということは、進んで情報を刻みつけられにいく、こと。

読書家は全員ドмです。



明らかにおかしいけど。。。



コンペを始めようかなと思ってます。

シェルター学生設計競技2009


何故、この時代にインターネットではなく、本というツールが選ばれたかと考えると、明らかに個人志向というか私的なものを追い求めているからだと思う。それに懐古的な印象も受けました。


Point2
インターネットであれば、ディスプレイを通して明らかに他者の存在を感じる。部屋でひとりでパソコンの前に座っているだけなのに、他者との関係性が出てくる。

本であれば、「自分と本」。これ以上の関係性は生まれない。


ネットに書き込みをすれば反応が返ってくる。

本に書き込みをしても、何か起きるわけでもない。



Point3
始めの能動-受動という観点からいくと、読書という行為において、人と本のどちらに主体が置かれるのか疑問です。

能動的に動いている方が主体と捉える事もできるし、どちらも主体的であるとも考えられる。

逆に、相手が働きかけてくれなければ読書が成立しない(本が情報をくれなきゃいけないし、人が開いてくれなきゃいけない)から、どちらも主体でないともいえる。


説明では、明らかに人を主題に置いている。

歩いてきて、椅子に座って、本を読んで、途中で邪魔されて。。。



課題のタイトルも「本を読むための・・・」となっていて、これの主語は人間しか当てはまりません。

なので、一応ヒトを主体と置いてみようと思います。



Point4

想像の世界と現実の世界が出会うための場所として、「本を読むための部屋」をデザインしてください。

想像の世界というのは、人が本を読んで感じたインスピレーションを指し、現実の世界というのは本そのもの。

主体を人間に置くとしたら、想像の世界にいる人間が主人公。

頭の中に小さい人間がもうひとりいるような感じでしょうか?





あんまり気持ち悪いことを考えるのはやめます。

以前に考えてた、ケータイデザインのことも思い出してみます。

あとは、ポストモダン的な思考もあった方がいいのか、テキストの話も。




王様のブランチに香山リカさんが出演されていて、見入ってしまいました。