ウソだっていーぞ。

いろいろ考えてゼロからスタートを切りました。

まぁ再スタートからは結構時間が経ってますけど。


合宿中にもらったアドバイスでおもしろくなりそーな感じがして、尚且つ取り入れることにしたものを。


まず敷地を秋葉原にすること。

都内23区とゆーことで面白い街を考えてたら秋葉原は面白いだろと。

あんなスゴイところに集合住宅なんてやばすぎると。

幸い(笑?)秋葉原に詳しい人が、ウチの研究室には結構いるんでコアな話も聞けたし、あの街の特殊な現象が人間やカルチャーだけじゃなくて都市規制とゆーか広告規制なんかも普通の街とは違うみたいな事が聞けたし。

感心したのは、普通の街が形成されていったのは人の流れが先にあり、それに集うように店舗が出来ていったのに対して、秋葉原はまず店舗から出来たそーです。

自分の持つ趣味や発信したい情報を持つ人たちが集まって店舗を出し、それを求めて人が集まってきた結果独自のカルチャーが形成されていったんだそーです。ラジオデパート(そーゆーのがあるそーで)があるのもそーゆー理由から。

元々は秋葉原と言ったら電気街のイメージ。オレだって5年ぐらい前まではそのイメージがあったのに、それがオタク文化に取って代わった理由としてはネットの進歩とサブカル文化の深化(かなと思う)。自分達の知的好奇心を満たす為の土壌がそろっていって、それが日々増殖しているとゆーか。

よくわからんけど。

まぁ秋葉原をモデルとはするけど、独自のカルチャーがあるってのは使えるなと。



何に重きを置いて設計していくかってのもアドバイスを。

敷地の隣には公園があるのでそこで何をするのかとゆー視点から、または秋葉原なら秋葉原で街の場所性を建物に取り入れていく視点、今までの住まい方でなく新たな住まい方の提案とゆー視点などなどをいただきましたが恐らくは、新たな住まい方の提案とゆー形になるでしょね。

秋葉原ってゆー街であるということも理由のひとつだけど、これからの時代の住まい方は情報に左右されるんじゃないかと。


こっからはもー自分の見解。

我々の生活と機械との関係はもー切れないし、これからもっと親密な関係になるのは明白だし、この関係が切れてしまったら財政・政界・仕事もといこれまで行ってきた市民生活にも支障をきたすことになるし、みんな戸惑って何にも手につかなくなるんちゃうかと思う。そーいった意味でもどんどん進歩していのはわかりきったコトで、それに建築が着いていかない理由が見当たらないし。

まぁ情報社会のおかげで海外の情報やら事件がすぐ手に入るから情報の格差はほとんど無いし、便利になっているのはありがたいけど、それと相対するところに人間が人間としてちゃんと生きていくためには食べたり寝たりするのが不可欠であるのも明白。その行動をサポートする役目をソフトでなく建築とゆーガッチリしたハードがその役目を負うべきなんじゃないのかと。

ちょい露骨にシビアに書きすぎた・・・笑


まぁ簡単に自分にもわかりやすいようにすると、大抵の行動を機械に頼るよーになっても、人間が生活するというコトは人との付き合いや、人それぞれの性格や気持ちからなる土着性ってのが残り続けると思う。

その情報社会の影響が最も顕著に現れている街のひとつとして秋葉原は含まれると思うし、そこでは独自のカルチャー、つまり土着性(最近のモノだけど・・・笑)も大きなファクターとして考えられているし、その場所で住む場所を考えるのはこれからの建築にとっても有意義ちゃうかなと思う。


情報×土着性+集合住宅=オモロイ。


こんな感じで長ったらしいコンセプト終わり。



んで、実際に情報とゆー曖昧なモノを建築に落とし込むタメに考えてることです。

情報を手に入れるというコトは、ある意味で概念的な思想的な抽象的なイメージを伝えるというやりとり。

その情報が正しいのかどうなのかは、その情報を発信した人のみが知るものであり本当のコト・姿ではないかもしれない。しかもネットの世界では誰が誰なのかわからないし、相手の姿は見えない。

けど、面白いと思うのはその情報が正しいのか、誰のものなのかがわからないのに、情報とゆーイメージだけは確実に存在しているコト。

ホントの姿からは遠くかけ離れているにもかかわらず、それを判断する道具を持っていないとその屈折した情報を屈折したまま手に入れることになる。

それが虚偽の情報であって誰かに危害や苦痛を与えるというコトさえなければ、ホントに面白い現象だなと思う。


それを建築に取り入れる方法としてはとりあえず2つ考えてます。

どんな人が住んでいるのかという情報を住民自身に発信してもらうのと、建物内で誰がドコで何をしているのかという情報を誰でもわかるように。

です。


一つ目はプライバシーさえ確保できれば面白くなるんじゃないかと思います。絶対に大事な部分さえ守れば問題ないと思うし。ブログやmixiなんかで日々を公開する人はいるし趣味を共有したいと思ってる人は実際にいるし、オレもそーだし。たとえそれが虚偽の情報であったとしても、それを受け取る側からすれば判断する道具が無いからそのまま受け取ることになるから、いろんな人が住んでいるという面白さにもつながるんじゃないかと思う。

タダ単純に自分の家のヒトツをギャラリーとして見せるのも手法のひとつだとは思うけど、せっかく情報というキーワードがあるので、違うアプローチでやろうと思います。てゆーかまだ思いつかないだけですわ。


二つ目は、「○○さんが△△で□□している」という情報ではなくて、この記号の1つか2つしか手に入らない感じ。しかも具体的な情報ではなく曖昧な情報。ここでいう情報は自分の5感でわかるようなモノで、確証のない情報。

例えば「Aさんが廊下を歩いている」モノが、Bさんにとっては「Aさんがどこかを歩いている」ように感じ、Cさんには「誰かが廊下を歩いている」ように感じ、Dさんにとっては「足音が聞こえる」だけに感じる。

みたいな。

コレは前に書いたcommonを繋げるようなプランによって出来る気がする。人間センサーで歩いてる場所だけ光ったり、歩いた数秒後に音が鳴ったり、いろんな仕掛けを用意しなきゃできないモノもありますね。



むつかし。


とりあえず今度秋葉原に行ってみるぞ。

大爆笑の予感。