『欧州紳士淑女以外』を読んで。

先に一通り読んでいたので、最初の印象としては建築家の目線じゃないなぁって。まず手紙を書いて人に物事を伝えるって事自体、建築家のイメージ像から大きく外れる。当時であれば、分離派建築界のように詩的な世界観に憧れる人達が大勢を奮っていたんだし(まぁ彼らと論争していたわけだけど)、それこそ建築の本場とも言うべき西洋の建築を目の当たりにして感動していた、ってのが定説です。ですが和次郎の文面からはそのような感動や興奮といったものが伝わってきません。もちろん人の感情と文字が同一になる事はありえないけれど、感情を伝えようとしているようにも見えませんでした。建物見学をした感想もいくつか載せられていますが、あくまで冷静に分析するのみで和次郎の建築観に大きな影響を与えたといえるような文章はほとんど見当たりません。

より適切にいえば、絵葉書通信全体の割合として建築に対する感想や批評などはごくわずかで、普段の生活風景や「これから彼の地に行く予定です」などの行動記録が大半を占めています。和次郎が建築に対して言及するのは、建築の写真が使われた絵葉書を使用している時であり、その建物を見学した際の感想などが記されています。その内容も建築自体の感想というよりは、建物がどういった場所に建てられていて、どういった存在であるか、博物館や美術館であればそういった展示がされていたかといったものになっています。建物自体への感想は少なく、味気ないものばかりです。
けれど、送られた絵葉書の写真を見る限り、建築の写真が使われた絵葉書の割合も多くはなく、また見学の感想も少ないという点は、絵葉書という限られた文字数の中では何処何処へ行ったという事実だけを述べるので精一杯だったとも考えられます。

なので、一概に建築を見て和次郎が感動していなかったとはいえません。


けれど、「素晴らしかった」とか「感動した」とか「鳥肌が立ちました」とか感情が見えるような書き方もしていないのも事実。加えて、和次郎は読み手に伝わりやすい文章の書き方が出来る人であり、そうした評価をされてきた人物です。それに、絵葉書の送り先である奥さんに対してかしこまる必要も無いはずで、素直な自分を見せる事も出来たのではと思っています(まぁ昔の人は甘えた自分を見せたくないと思うものなのかもしれませんが。。)。というか、伝え易さという点からすると、奥さんだからこそ難しい建築の話は避けたんじゃないかとも言えるのだけど。。。

個人的には和次郎の海外視察との対比として、堀口捨巳のパルテノン体験を思い出しました。堀口はパルテノン神殿を見る事で日本建築(茶室)へとのめり込むきっかけとしましたが、逆に和次郎は海外の建築を見る事で建築家として冷めていったように感じます。建築それ自身への感動が薄く「写真でみたとおり」などと記したり、模倣ばかりで面白くないなどと記したりもしています。この差異は建築家として、設計を実際に行う人物かどうかという点に依るのかもしれません。堀口はもちろん建築家として設計を行うが、和次郎は自身で設計を行う機会が無い(何度かあるが数える程度)ため、海外の建築を見てそこから自分の設計に取り込むという観念自体が欠損していたのかもしれない。


まぁこんな程度の事を考えました。



もうひとつの話題として、単純に「どうして建築よりも風俗の話題が多いのか」と考えました。

当然『建築よりも人や文化への興味が強いから』というのが解答として妥当だと思います。ですが前述の通り『奥さん宛だから、内容をソフトに伝えやすくするために建築の話題を避けている』と考える事も出来ます。

前述の内容の大まかな割合ですが、建築の話題と風俗の話題に限って言うと完全に『風俗>>>>>>>建築』です。海外視察を行っている際に『考現学』が出版されているし、当時の和次郎の興味は風俗の方面に向かっていたのはわかっています。本書でも『「紳士淑女以外に」着手する』という章まで作られ、巻頭にそのスケッチが載せられているほどで、建築のスケッチ等はほとんど残っていないと思います。

また、本書にも書かれてますが絵葉書にはびっしり文字が詰まっています。絵葉書通信の実物も何度か閲覧しているので知っていますが、よくもまぁこんなに詰めて書けたもんだと思うほどびっしりだし、字が汚くてほとんど読めない(笑)し、字自体も小さいので読むのが難しい物です。また、和次郎は絵葉書自体を大量に購入しており、使わずに持ち帰ったものも大量にあるそうです。
そう考えると、建築を見学した際の感想も書く事は出来たんじゃないかなとも考えてしまいます。一度に何枚かにわたって書いている物も多くあるし、葉書自体もたくさんあったので文字の制限が問題とは考えられません。それに、奥さんも建築畑の人ではないけれど、服飾関係の出身であって和次郎さんと仲がよかったのだから、かじる程度には建築もわかっていたんじゃないかなとも思います。一緒に本出すぐらいだし。


当時の和次郎の研究対象が風俗であった点、建築の話題には事欠かず、文字制限は無いので書こうと思えばいくらでも書けたであろう点。

この二つの点から、やはり『奥さん宛てだから・・・』よりは『建築よりも・・・』の方がしっくりくる。



総じて「海外視察を通じて、自身の考えをより強固にした」といえる。興味の方向は変わらずに、且つ日本でも海外でも同じ目線で街を眺めているように感じます。



まぁこんな所でおしまい。


絵葉書通信 欧州紳士淑女以外―今和次郎見聞野帖

絵葉書通信 欧州紳士淑女以外―今和次郎見聞野帖