歴史と本。

出版業界は先細り。建築系の雑誌、書籍の出版社は数える程度しかないし、これからも増える事は無いでしょう。しかも、業界全体から見ればそれらの建築系の出版社は中小企業に分類されると思います。鹿島出版会とかTOTO出版とかは副業的にグループ会社としてのみ存在しているので、雑誌社とはまた違う。

今現在の業界の状況として、電子書籍やネットの発達によって紙媒体の価値が無くなっている、という雰囲気です。俺みたいな歴史系の論文や研究をしていると、一次資料がどれだけ重要かがわかります。引用、脚注、参考文献。どれも一次資料や元資料、元記事があることで初めて存在を主張できるといえます。それがぐちゃぐちゃでデタラメだとその論文や記事には全く価値が無いとみなされてしまいます。そうすると、論文で文章を書くという事は根拠が必要であって、それが無いと読者が信頼を寄せてくれないものになるのかな。



研究室の先輩に聞いたタメになる話。
歴史を勉強するということはどういうことか。建築そのものやデザインの変遷などを追うという事はどういうことか。自分が建築設計を行う時に何を根拠にしているのか。

完全に私見ですが、建築家という人種の大半は「新しい」建築を作りたい、「これまでにない」建築を作りたいといった感情を持っていると思います。第一線で活躍している建築家達は常に新しい物を求めているといえます。
「これまでにない全く新しい物」と言っている時点で既に答えは出てます。過去との関係性は絶対に消えないということです。これまでの流行や建築デザイン、設計手法などがあった上で、それとは別のものやアレンジしたものを目指しているんだと、そういう気持ちを持っているのが建築家なんじゃないかと思います。先輩の話では、さらに過去から続く現在をきちんと見極め、その流行を捉え、その上で自分はどういったデザインを行っていくのか、いくべきなのかを考えるために歴史を勉強しているんだとおっしゃっていました。

言うなれば、華道や茶道、能や歌舞伎、さらには落語とか相撲なんかもそうだと思います。昔とは違った、新しい技法や技術などが生まれていて、それに対する気持ちが変わっていっています。歌舞伎役者さんなんかは歌舞伎それ自体にとどまらず、現代劇やドラマにも出演されていて、それを歌舞伎にフィードバックするなんてことがあったりするのだろうし、相撲も昔は祭事でしたが今現在はそれが形骸化して単にスポーツであるという面が強調されています。相撲が祭事だなんて、この間の貴乃花のインタビューを見て初めて知りましたし。。。

別に形式遵守とか歴史を重んじなければいけないとかは思わないけど、「今があるのは過去があるから」だとは思います。大それた事を言うつもりはないし、換言してしまえば自分に親がいる、それだけで証明出来てしまうんだよなぁと思ってます。




俺は本が好きです。本の内容自体もそうだし、本そのものにも愛着が湧きます。何で好きなのかはわからないけれど。
小学生の時分に将来なりたかったものに「本屋」と書いた覚えがあるし、図書館の雰囲気も好き。その感情自体は自分の内側から湧きあがったものだと思うのだけど、本当は過去に因果があるんだろうなとも思う。改めて思うと、図書館で過ごしてきた人もそうだし、本そのものに歴史を感じるのかな。本を作るという作業自体にとても時間がかかるし、一冊の本に大量の人の時間が費やされてきたんだと感じるし、さらにそれが何万冊とあるなんてとんでもない場所なんじゃないかなと思う。

そこに紙媒体の良さがあるんじゃないかな。ネットや電子書籍に反対するわけじゃないけど、そうした物はあまりに薄っぺらく感じるし、あまりに時間がかかっていないし、あまりに価値が薄くなっているように感じて寂しいんだろうね。図書館が知を溜めている場所だとは思うけれども、それ以上に時間が溜まっている場所であると思います。



価値が薄いって言い切っちゃ駄目だけど、歴史からくる愛着ってものがあると思うし大事にしたい。