「神殿か獄舎か」

只今、長谷川堯さんの「神殿か獄舎か」を読んでいます。トピックスとしては色々とあるんですが、やはり今和次郎に関する著述を挙げてみます。


今和次郎と分離派建築会の滝沢真弓との間の論争、滝沢と山越邦彦の間の論争。大正から昭和へと時代が移っていく中で、これらの論争を「アナ・ボル論争*1」であると評している事に面白さを感じます。



これは単純に「・・・といえるのではないか」といったレベルの話なので決定的なものだとは言えないし、この部分も数行で終わるし、今和次郎に関する著述も5ページ程なので、あんまり説得力のあるものだとは言えません。ですが、この著述はかなり大きな影響があったと言えます。著書の最後に藤森さんが「長谷川堯の史的素描」として、この数行の部分を取り上げており、「アナ・ボル論争」という言葉に「これまで誰も触れなかった大正期の姿」が明らかにされたとしています。


今和次郎に関する論文を見ると「神殿か獄舎か」に加えて、「都市回廊」などの長谷川さんの著書は必ず参考文献として挙げられているし、その影響を受けたと思われる藤森さんの今和次郎研究も挙げられてます。その中では「アナ・ボル論争」について、特に検証されているようには思えませんが、これを詳しく調べる事も出来るのかなぁと思っています。まぁこれは全く建築に絡みが無くなるようにも思うので、現実離れしているかもしれませんが。。。



神殿か獄舎か (SD選書)

神殿か獄舎か (SD選書)

*1:「アナ・ボル論争」とは・・・
大正時代、労働運動の主導権をめぐって行われたアナルコ-サンディカリスムとボルシェビズム両派の論争。ロシア革命の評価、労働組合の組織論をめぐって意見が対立したが、アナ派は衰退し、以後マルクス主義社会主義の主流となった。