価値をどこに求めるか。価値は求めるべきか。

だいぶ前だけど、吉祥寺で撮った写真です。

どちらも吉祥寺駅の南側。


屋根の形状に誘われました。

なんとなく藤森さんの建築を思わせます。

屋根もそうだし、軒も低くて、木を前面に出してる点で、そう思いました。




中央線高架近くの駐輪場、の柵に巻きつく鬼灯。

めっちゃ絡まってました。




研究してる資料の中に、写真資料があります。

写真の保存状況ってのに目がいきました。


デジカメで撮ったものは、あくまでデータとして持ってるから、実際に写真としてプリントしない。

その価値は下がるものなのかな。



デジカメの写真は、実物の写真ではなくて、情報としての価値に変わっているのかも。

写真に「絵」を、「芸術」を求める人にとっては、実物とデータの違いはあまり無いのかもしれない。


けど、写っている「状況の把握」を写真に求めている人は単にデータとして扱えればいいのかもしれない。状況を把握するためにデータがたくさんあればあるだけイイんだ、みたいな。

求めるものが違う。



撮影者は、そこに何を見ていたのか。何を求めていたのか。