知識ども。

10+1は読んでる時に難しい単語が連発するから、その都度ネットで調べてるんだけどそーゆーのを整理する意味でそれぞれを解説してこーと思います。

まぁネットで調べるからはてなとかwikiのまとめ的な感じになるけど。

前回書いた10+1のNo.47の特集に触発(?)されてコノ記事を。

その特集は「アルゴリズムで都市の表層と深層を架橋せよ」っつータイトル。

内容は、まず今まで使われてきた都市解析の手法をさらい、それが成してきた功績とか影響があったかを見、都市解析の手法としてアルゴリズムを用いることによってそれまでの都市を表現する事ができるのでは。という流れ。


では。


リバタリアニズム libertarianism

最小国家論。
国家権力を最小限に抑え、全てのインフラストラクチャーをグローバル多国籍企業によって担保してもらい、その企業が用意したインフラ上で多様な自由コミニュティが成立し、多様な自由を享受する理論。

wikiでは自由放任主義を唱えて、経済や社会に対する国家の介入を否定もしくは最小限にすることとあり、最小国家論とはちょっと意味が違うみたい。




シチュアシオニスト situationniste

状況主義者。状況構築主義者。状況の構築の理論もしくはその実践活動に参加すること。
彼等の手法は「漂流」「心理地理学」「空間論的転回」だとありました。空間化された表象をめぐる歴史や政治を問い、都市を社会的かつ空間的編成の諸関係から批判的に捉えるのだそうです。簡単に整理すると、建物を見たり内部に入ったりするコトによって感じる人間の心理、感覚を大事にするのだと思う。
中心メンバーだったギー・ドゥボールがジャン・ヌーブルと対談した本を見たけど、それだけでどんな理念をもっているのか少しわかりました。




トマソン路上観察学会アトリエ・ワン→・・・

都市の断片や現象を収集していく日本の運動体の特集内での流れ。
トマソン路上観察学会は都市が形成されていくなかで出てきた異物や機能的に無用なものを集める手法で70年代に出てきた運動。本来の意味から外れたものを「笑い」を交えて観察を行っていた。同時期のシチュアシオニスト達と違い、政府や社会に対する批判的な態度をもっていなかった。
アトリエ・ワンは機能の重合性や周辺環境との即物的な対応などに目を向けている。




シミュラークル (仏)simulacre

影、面影。にせもの、まがいもの、模造品。書中ではコンビニ、ジャスコ、ツタヤ等のいつでもどこでも適用可能な建築装置に対して用いられていた。
イメージとしては“即物的”で“物流的”で“大量生産”的な粗悪ではないけど、つまらない建物を指しているように感じた。



シミュラークルとデータベースの二層構造

データベースとは社会を支える社会のルールやインフラだと定義されていて、シミュラークルとデータベースはどっちかだけでは存在することは出来ないという理論。シミュラークルは表層に表れるもので、データベースは深層に当てはまる。
コノ二層構造の論理は結構いろんな物にあてはまるみたいです。
例として「東京ミッドタウン」とか「森ビル」が挙げられてます。大規模都市開発の設計で容積やヴォリュームなどの全体の枠組みは日建設計などの組織設計事務所で、表層に現れる部分は隈研吾青木淳などのアトリエ系の人と決められることようなコト。

また、スーパーマーケットも二層構造の例として挙げられている。
大体の店が目線より下に陳列棚を構え、目線より上は棚が無く空間が繋がって品物の種類がわかるサインや広告が掛かっている。お客は2つの行動をすることが予想される。「パンを買う為にサインを見てその場所を辿る」「売り場を歩いていると偶然牛乳を見かけたのでそれを買う」と商品は例えだけどこれが考えられ、それぞれ上の空間、下の空間を使って行動をしている。
ということは上下の空間構成の違いが人間の行動にも違いが出るということになる。前者を「検索可能性」、後者を「遭遇可能性」と呼び、郊外型ショッピングセンターの原理としていた。コレを仮想空間上(ネット上)のサーチとブラウズとの関係に結び付け、仮想空間上の機能を現実空間が追いかけてきているとあります。



虚の透明性

コルビュジェのガルシュ・シュタイン邸の分析をしたコーリン・ロウによって出される話。
迷路状の空間を彷徨った挙句に最後に図式としての一覧性がが得られて、概念としての一体感が生じるという話。
ここでは身体感覚のコトを言ってるので、建物の造り方とは違うけどボトムアップ的な考え方を言ってるのだと思う。




まぁこんな感じで。

次はアトリエ・ワンアンリ・ルフェーブルについて書ければと。