赫。

武蔵野市立吉祥寺美術館で、「瞽女と哀愁の旅路 斎藤真一展」を見てきました。

武蔵野市立吉祥寺美術館←リンクです。

以下に、展覧会の要旨を引用します。

1960年、一年間のヨーロッパ留学を終えて帰国した画家、斎藤真一[岡山県味野(現倉敷)生まれ/1922-1994]は、パリで親しくなった藤田嗣治の勧めもあり北国を旅するようになりました。津軽の宿屋の主人から、三味線と唄で旅をつづける盲目の旅芸人・瞽女(ごぜ)の話をきき、その存在に強く惹かれ、越後へ―。村から村をめぐる瞽女道を自ら歩きながら、この世をすでに去った瞽女の人生に思いをはせ、「人なれば誰れでも背負っている人生の悲しみという縮図」をそこにみた思いがしたのでした。そして瞽女らの「生の宿命」を強く印象づける赫(あか)で次々と絵に描き、その境涯を《越後瞽女日記》にまとめました。
 瞽女の姿を追い求めるうち、その思いは絵画にとどまることなく、文筆の分野にもおよび、1970年代以降、『瞽女=盲目の旅芸人』(第21回日本エッセイストクラブ賞)や『越後瞽女日記』(ADC賞)を著し、さらに養祖母をモデルにした『明治吉原細見記』『絵草紙 吉原炎上』の著者としても高く評価され、のちに広く映画・舞台化されました。
 30代のヨーロッパ放浪で目にした異国の旅芸人、越後路で心打たれた瞽女、養祖母をきっかけに知った明治吉原の遊女たち、また藤田嗣治をはじめとする理解者など、斎藤には多くの旅と出会いがありました。その旅路と出会いを通して知った様々な喜びと哀しみ、時をへて人知れず忘れ去られていくものへの哀愁の念が、斎藤を絵に向かわせました。
 街の風景や文化がめまぐるしく変化し、希薄な人間関係や社会への不安が増す現代において、斎藤真一の作品は、ないがしろにされてはならない庶民の感情や、ものやひとの奥深くにある美の本質といった、時代は変わっても大切にしてゆくべきものがあることを、私たちの心に強く語りかけてきます。
 本展は、会期を前後期に分け、前期は旅愁あふれる初期作や、明治吉原を再現した絵草紙の世界を中心に、また後期は赫い瞽女の作品群や、さすらいや街角の風景を中心に構成し、画家自身の残した言葉とともに計約120点の作品を紹介します。


恐ろしさというか禍々しさというか。。。久し振りに鳥肌が立ちました。というより身震いしました。目を背けたくなるような状況に。ゴゼの作品群は、正直言って心に響くものがあったように思います。斎藤氏の紹介文というか作品説明のように掲げられていたエッセイで、ゴゼの方と会った時に「初めて人間を見た」という文章は、自分自身の存在が揺らぐような衝撃を受けたように思います。


ピエロとか「ライムライト」等の作品は単純に「畏怖」を感じました。初めてドラクエを知って、何を見ればいいのかわからず、何をすればいいのかわからず、何度も襲ってくる怪物から逃げ惑うような感覚。色彩だけを見れば美しいのだけれど、とてもグロいと思いました。彼等と対峙して、俺は一体どういう対応をすればいいのか。。。只々恐ろしくて、これこそ目を背けて逃げ出したい感覚。


女性と植物を合わせたシリーズは美しいです。全く美術の知識はありませんが、とても女性的な柔らかいフォルムで、直線が全く無くて優しい感じ。けど、グリッドが見える曲線だったように感じて、建築的な構図を見てとれました。ピエロの作品と、顔はほぼ同じなのに受ける印象が違うので不思議な感覚。




もひとつ。眼鏡屋さんのJINSへ行ったんですが、建築家とコラボレーションしたものが置いてありました。

伊東さん、青木さん、妹島さんから、永山さんに藤本さんなど、第一線で活躍する建築家がデザインしたもので、しかも以外に安いです。全部12,990円で、今の相場で言うと普通か、それよりちょっと上等なレベルなので簡単に手が出ると思います。伊東さんのは良い物だと思うし、石上さんのはハイセンスな感じ。


けど、絶対買いません。他のはダサすぎるんじゃないかなぁ。。。と思ったり。